2012年03月11日

東日本大震災から1年

 今日は、東日本大震災(東北大震災だろうが。)から1年がたちました。去年の同じ日、壮絶な1日を送りました。(以前のこのブログの記事参照。)その後、私の勤め先から商品が消えました。東北ではないのに買占めがかなりありました。当時、震源地は相模湾の方かと思いました。その後、震源地は宮城県三陸沖であることが判明、停電と近くの鶴見区役所が大混乱でした。
 さて、東北の服喪期間が明けます。やっと、明るい兆しは見えませんが、少しずつ、問題点が解決していくでしょう。さらに問題が増えてきますが、これも見えなかった事が見えてくることでもあります。
 さて、先日、震の瓦礫処理問題で、静岡県の島田市市長と、石川県の輪島市市長が受け入れを表明したとき、批判がありました。ここまでならよくある話ですが、言ってる人たちが、実は地元の方ではなく、他県の輩であると雑誌やテレビニュースで報じられました。市長さんは心を痛めていました。市長さんたちは、東北の方々への恩返しをすること、放射能のレベルが大丈夫であることが科学的に証明されたことから実施をしたかったとのこと。結局、実施したのは東京都のみです。ご存知、東京都は、あの、東京電力のエリアであり、当然、報いなければなりません。それを考えると流石と感心しました。だって、福島原子力発電所は、福島県には電気を供給しませんからね。
 あと、首都圏の方々が、放射能のことで神経質になっていますが、あんた達が言う資格はない。理由は、福島原発の件です。今回の記事の中に書いてあります。
 怒りが混じってきましたが、ひとつの区切りとして、東日本大震災(東北大震災)の自分の思いを書かせていただきました。松本(阪神淡路)、高岡(新潟県中越)、横浜(東日本(東北))と、震源地からかなり離れた場所で地震を感じたのはなぜだったのだろうか。なぞです。では、また。  


Posted by つか信州 at 09:51Comments(0)地域